2014年6月9日月曜日

マンゲイラの歴史

俺用メモ



G.R.E.S Estacao Primeira de Mangueira(O Gremio Recreativo Escola de Samba Estacao Primeira de Mangueira)はリオデジャネイロで最も伝統があり、世界的な知名度を持つエスコーラヂサンバの一つである。

1928428日にCarlos Cachaca, Cartola, Ze Espinguelaなどのサンビスタ達によってマンゲイラの丘で創設された。現在、エスコーラのクアドラ(根拠地)は同地区Rua Visconde de Niteroiに位置している。

 マンゲイラはAla de Compositoresカーニバルに導入し、創設以来、裏スルドをバテリア(打楽器隊)に根付かせた最初のエスコーラである。エスコーラのシンボルにはサンバを表すスルド、勝利を表す月桂樹、むかし皇帝領でありマンゲイラが位置するサォンクリストーヴァンを表す王冠、それらを囲むように星とエスコーラ名が書かれたピンクの帯が描かれている。

 マンゲイラは18の表彰を受けており1984年にはサンボードロモの落成式において1 Super-Campeonatoの称号を独占的に与えられている。これはサンボードロモ落成をうけて第一回目のパレードにおいてマンゲイラが優勝したためである。

最も代表的な人物の一人に1949年から2006年までマンゲイラの専属歌手を務めJameiaoが挙げられる。彼の特徴的なしゃがれた力強い声で歌われるサンバは人々を魅了し、リオで最高のサンバ歌手の一人とも言われている。

1990年代にはオリンピックの選手村や男子ブラジルバスケット選手権などでも応援団を務めていた。

■歴史

サンバがまだブラジル文化として認知されていなく、エスコーラヂサンバという概念も全く考えられていなかった時代に、後にエスコーラの前身となるマンゲイラの共同体はリオのカーニバルの先駆者として、いくつかの音楽・娯楽・ならず者集団などが集まって誕生していた。その共同体は一人のリーダーとアピート(サンバホイッスル)によって統制され、打楽器隊を伴う仮装集団であった。マンゲイラには少なくともGuerreiros da MontanhaTrunfos da Mangueiraという団体が存在していた。

共同体の拡大とともに山車、Samba de Enredoの使用、管楽器・弦楽器の使用、隊列の先頭での旗持ち女性と男性ダンサーの二人組、などの多くの革新がカーニバルに持ち込まれた。特に先頭の男女ペアは今日「Mestre-Sala」、「Porta-Bandeira」として知られている。また女性のパレードへの参加も認められた。しかしこれらの変化をよく思わない集団もいくつかあり、Pingo de AmorPerola do EgitoPrincipes da Mataの三つの団体がマンゲイラから脱退した。

 1920年前後にCordaoBatuque集団)やRanchos(カルナヴァレスコ集団)が集まり合っていくつかのブロコを形成するようになり、それらが後のエスコーラの起源に大きく影響を及ぼしている。マンゲイラの丘のBuraco Quenteとして知られる地区だけでもos blocos da Tia Fé, da Tia Tomázia, do Mestre Candinhoなどのブロコが存在し、中でも Bloco dos Arengueirosはひと際その名が知られている。当時19歳だったカルトーラはこの頃に、それらすべてのブロコを一つにまとめ上げ、洗練された打楽器とアフリカの伝統的舞踊を伴う新たなエスコーラヂサンバを創設する時期であると考えた。

 そうしたカルトーラの考えによって1928428日にZé Espinguela, Seu Euclides, Saturnino Gonçalves (pai de Dona Neuma), Massu, Cartola, Pedro Caim e Abelardo Bolinhaが創設者となって「Bloco Estação Primeira」が創設された。創設当初は創設メンバーであるZé Espinguelaの家に他のメンバーが集まりこの新しいエスコーラを運営していた。Zé Espinguelaは「Mangueira」だけではなく最古の歴史を持つエスコーラ達「Deixa Falar」や「Portela」でのエスコーラの先駆者の一人である。

 カルトーラはエスコーラの最初の「アルモ二ア(調和)」の長に就任し、「Estação Primeira」の名前とマンゲイラのテーマカラーである緑とピンクを与えた。「Estação Primeira」は直訳すれば最初の駅という意味であるが、これはマンゲイラ駅が当時のリオの鉄道の始発駅セントラル駅から一番目のサンバがある駅であったことから名づけられたものである。またテーマ―カラーはLaranjeiras地区(カルトーラの出生地)に存在していたCarnavalescoたちに敬意を表して付されたものである。創立からほどなくしてマンゲイラの丘にあった他のブロコ達もエスコーラに統合されていき、1930~40年代には正式な役職としてのカルナヴァレスコが誕生し大規模エスコーラヂサンバとしての姿が確立された。

 

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